読みました。
人を分つものは何か。非色(色に非ず)。それが 本書のテーマです。
時代は戦後。
笑子は、日本にいるアメリカ軍人トムと国際結婚する。トムはニグロ(黒人)であり、トムの帰国ののち、笑子も渡米する。そこで見る黒人世界は想像を絶するものでした。戦争直後の日本から比べても悲惨な暮らしぶり。働いても働いても給料は安く、辛酸な生活が続く。
同じような状況で渡米していた友人の死にも直面し、何がこの差別を生んでいるのか、その差別の中でどのように生きていくべきなのか。笑子は考えます。
笑子は結婚する前から、ある種の違和感を抱いていました。
トムは「平等」と繰り返し言う。この言葉が笑子の心に留まっていました。
実はトムの学習能力は低く、使う英語は小学生程度。それらしい言葉を並べていただけでした。しかし、日本で出会った頃、英語の上級下級など、日本人にわかるはずがない。英語を話しているアメリカ人というだけで、手の届かないほどの人だったのです。さらに、その黒人のアメリカでの扱いなど、当時の日本人に知るよしもありません。
渡米後、笑子はそういった現実に直面していきます。そして、差別とは何か?
それは、「使う側」と「使われる側」という差別であり、実際には人種の優劣ではありませんでした。さらに言うと、差別とは、優越感と劣等感が生み出すものなのでした。
そして、使われる側、搾取される側の人間たちが、人間として生きていることを最低のところで支えているものは何なのだろうか。
最終的に、笑子は、
「私はニグロだ!ニグロとして生きなければ嘘だ。」と、自分をニグロとして受けいれることに行き着きます。それが自分たちや家族の誇りを守る最善の方法だと考えました。もしかしたら、自分の周りの世界だけでも、平等を追求した結果なのかもしれません。自分の住む世界だけでも、優越感や劣等感で人を差別しない世界を作るという決意だったのかもしれません。
もちろん、この決断は苦しいもので、ハッピーエンドではありません。差別は全然なくなっていません。使われる側であることは変わっていません。変わったのは、矜持を持つかどうかということ。それを、追求した個人の奮闘は決して無視されるべきことではなく、このような個人の戦いが至るところで行われていたのだとおもいます。自分は生きても良い人間だと思える状況をつくること。それがとてもとても大事なのだと思いました。