pleetm's blog

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すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫) 川上未映子

読みました。

といってもだいぶ前に読み終わっていたのですが、どう言う感想をもてばよいのかよくわからず、書くのは棚上げにしていました。そして、最近再度読んでみたところで、少し気になった部分だけでも書いておこうと思い立ちました。

なんともひとことで感想の言えない読後感が川上さんの小説の良さなので、むしろ感想をかきたくないと思うところもあります。それは、拙い言葉で言語化してしまうことによって誤った形で自分のなかに感情が固定化されるのを避けたい、と思いからくるものです。小説はだからこそその分量を使ってひとことにならないものを伝えているのだと感じさせられる作家さんだと思います。

などと講釈を垂れていても仕方ないのでいくつか。小説の主軸は主人公と三束さんの恋愛なのですが、ぼくは、主人公の友人の聖の存在に心惹かれるところがありました。強く生きているように見えて、その内実は誠実で弱々しいところもある。でも強くしっかり生きないといけない、というある種の社会的な要請に従って生きようとしている、そのような苦悩が見えますし、それによって主人公のピュアさを引き立たせる効果も生み出しているように感じます。

仕事ってね、種類でもなければ、結果を出すとか出さないとか、そういうものでもないの。自分の人生において仕事というものをどんなふうにとらえていて、それにたいしてどれだけ敬意を払って、そして努力しているか、あるいはしたか。わたしが信頼するのはそんなふうに自分の仕事にむきあっている人なの。

信用と信頼は違うの。信頼したぶん、わたしも相手に何かちゃんと手渡しているって、そういうふうに感じるの。

生きることについてこつというものがもしあるとするなら、それはやっぱり全面的には深刻にならないことよね。

もちろん生きているからにはどこかで深刻さを引き受けなきゃならないことは確かだけど、でもそれはある部分にだけしておいたほうがいいと思うのよ。

聖は自分にある会話の中で、主人公に対して話していますが、でもどこか、自分に言い聞かせているような、そのような雰囲気を感じます。

主人公が恋をするあいての三束さんにたいしてのきゅんとする気持ち等々は多くのレビューで触れられているところなので触れませんが、また、何度かこの本を読み返すことになるだろうとおもいます。それは、たぶん、自分なりに、これが「すべて真夜中の恋人たち」だなぁ、と思える瞬間を見つけたときだと思います。