読みました。
情熱の希薄な私は愛に対する憎しみという感情にも薄くそれは処世の上では役立つかもしれませんが、それがかえって人を傷つけることもあると自覚しています。
底にあるのは無関心ですね。
無関心は無関心のままでいい。本人の決断はその無関心の中から出てくるのだ。
後押しされたから、という外的理由ではなく、内的な理解、一種の勘違いから出てくる。
個人的なものが他人に訴える事ができるのは、それが非個人的になり得たとき。
ひとりを楽しむけれど、やはり他人を欲する寂しさというのがあるのが正直な感覚ではないだろうか。
自分がつきあいやすい人間になったら自分が一番つまらない
部分的に取り出しても少し意味がわかりにくいものもありますが、 特徴的なことは、意見マイナスかな、と思うことを、そういうところがあってもいいじゃないか、といったん肯定してみようとしているところです。
自分はずるい人間かもしれない、プレッシャーに弱いかもしれない、さまざまあるとおもいます。だけど、そういう部分があるから見えている世界もあるんじゃないか、と言ってくれているような気がします。
そういう意味で、極論すれば、悩んでいない人は生きていない、とも言えるのかもしれません。悩みがないことを目指すし、そう見えるように振る舞ったりしているけど、やっぱり何かしこりがある、それこそが人間らしいとか、その人らしいというものなのかもしれません。
こういう本を読むと、まかり間違っても「悩みんてなさそうですね」ということは思えず、その人にはその人なりの何かがやっぱりあるのだろう、と思います。
でも悩みのない人はやっぱりいいな、とも思うものですね。