簡単なようで意外とできない読むということ。
自分で分かったと思いこんだ時が勘違いの始まりとも言え、分かってないと思った時が「読む」の始まりともいえる、そういったものではないでしょうか。
分かったと思っても、いやまだわかっていないことがある、という「わからなさ」をどこまで抱え込めるか、と言い換えることが出来ると思います。
本書では、読むということをもう一人の自分を持つことと表現しています。
ふたつの感情をもつ。
ふたつの場所をもつ。
もう一つの感情で過ごす場所をもつ。
それがどんづまりのなかでも、自分の中の感情の対流を生み、考えることを可能にする。
つまり、違う感情をもって過ごしてもよい場所を確保しておくことの大事さ、逆に場所を変えることにより違う感情を生み出すことの重要さを語っているように思います。
読むとは、読まない時間を設けること。その繰り返しが右足と左足のように相互に崩れたバランスを補いながら人を前進させるのかもしれません。