pleetm's blog

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悲しみの秘義 若松英輔

読みました。

ぼくにとっては、とても大切な言葉がたくさん書かれている本でした。そのやさしく悲しい語り口がとても美しく、こういう感覚を言語化し共有できることに感銘をうけました。たぶん、それは、ひとつひとつの言葉をだいじに扱ってきた人だからこそできる、精神性の深さから生まれるのではないか、と感じます。

祈ることと願うこと。
願うことは自らがほっすることを何者かに訴えること。祈るとはむしろ、その何者かの声を聞くこと。

人生はひとにさまざまな問いを与えます。人生はひとにその問いに「応える≠答える」ことを求めます。つまり真摯な対応を求めている。

人が語ろうとするのは、伝えたい何かがあるからであるよりも、言葉では伝えきれないことが胸にあることを感じているからだろう。

悲しい、というのは亡きもの、愛しきものがそばにいること。その悲しみを抱き続ける。悲しみは別離に伴う現象ではなく、亡き者の訪れをつげる出来事だと感じることはないだろうか。

言葉になれ、と願うだけでもかまわない。その思いは必ず、見えない言葉で刻まれた手紙になって天へと駆け上がる。

書く、とはそこに書きえないことを想い起こす営みだといってよく、語りえない人生の出来事の存在に気が付く。

心を開くとは。自らの非力を受け入れて露呈しつつ、しかし変貌を切望することではないだろうか。変貌の経験とは、自分を捨てることではない。自分でも気が付かなかった、未知なる可能性の開花を目撃することである。

言葉にできない、具現化できないからこそ、その欠乏を実感しながらもそこに向かい継続すること。その語りえなさによって、より強烈に「ある」ことを認識する。だから、喪失にこそ重要なシグナルを見出すことができるのかもしれません。