pleetm's blog

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水中の哲学者たち 永井玲衣

永井さんの言葉は、何も特別でない。誰でもが理解しやすい平易な言葉で語られている。永井さんの言葉を読むと、平易に書くことと簡単であることは似て非なるものだということを痛感させられます。わかりやすく書かれているからこそ深く、そしてそこに本質のようなものが潜んでいる。そういう言葉を紡ぐことのできる稀有な方だという印象を持ちました。

おそらくその背景には、永井さんの物事や人に対する真っすぐな姿勢にあるのだと感じます。外から見ると不器用に見えるかもしれない、もっと上手くできると思われるかもしれない、けれどもそういう不恰好な向き合い方が、彼女に、血液が流れているような生きた言葉を紡がせているような気がします。

 

哲学というのは難しく聞こえます。

でも、問うこと、それが哲学なのだと永井さんは伝えています。

そして、しょうがない、だとか、そういうものだ、とかいう言葉にも警鐘を鳴らしています。こうやって自分に納得感のないまま受け流していくようなやり方は、思考を停止させます。そして、それがあたかも良いこと、大人であることのように、思いやりなどの親切心の容姿を装って忍び寄ってきます。だから、ぼくたちは本当に優しい言葉なのか、そんな見た目をした狼なのかいつも敏感でいなければなりません。

 

しっかりすることが大人になることではありません。

理不尽なことを我慢できるのが大人ではありません。

 

むしろ、前提を溶かし、心細くなり、拠り所がなくなっていくこと、その寄る方のない絶望の中で問い続けることが成長することだったり、大人になる、ということのような気がします。ここからこそ、他者性が立ち上がるのだと思います。むしろ、それができない限り、他者を他者としてあつかい、自分を自分として扱うことはできないのではないか、という気がします。