入江泰吉は何十年も奈良を取り続けた写真家です。
入江さんの奈良に関する記述は奥深く、美というのはパッと目に見えるものではないものであることをあらためて教えてくれます。見える人にこそ見えるもの。あるいは見ようとする意思のある者にふと立ち現れてくるもの、それが入江さんの美であるように感じます。
奈良は古い時代の都でありながら、京都のように当時の面影を残すものは多くない。むしろぱっと見は、どこの地方でも見られるような単なる農村風景だったりする。しかし、その背後には、初めて外来文化が土着の文化と出会い、衝突し、受け入れ、融合した残像のようなものを見ることができます。これを見るために、入江さんは「イメージ」が重要だと述べています。
そして、美しさが発露となって、人の心情に訴えかける。そこに生命を感じるとき、その生を美しいと感じる。
とも述べています。
そのさりげない景観に、風景の「風」の趣が醸し出されている。
それは風景の中に醸し出される余情、気配と言ってもいいと思う。
つまり、目に見えないもの、言うに言われぬ情感や心情を指すのではないか。
このような、ともすれば見過ごしそうな気配みたいなものをいつも感じられるアンテナを持っていたい、そして、そのアンテナから感じられるものは言葉には筆しがたいからこそ、入江さんの撮る写真には入江さんの感じる美しい風みたいなものが吹いているのかもしれません。