読みました。
「嫌われる勇気」は対人関係におけるストレスを大いに軽減したと思います。良い効果がある一方で、「嫌われる勇気」という言葉が一人歩きし、その言葉を誤解したような言動をするような人も増えたような気もしていました。また、ちゃんと読んでも、内容を行動に変換するにはなかなかの困難を伴うことが多い部分もあったように思います。
本書は、前著で説明不足だったところを丁寧に説明を補足してくれているようにおもいますし、その上で、新しい概念の導入もなされています。
アドラー心理学は哲学
この点は非常に自分のなかでももやもやした部分でした。心理「学」なんだろ?科学的なんじゃないの?客観的にみて正しいものなんじゃないの?と感じていて、いまいち信じれなかった自分がいました。
だけど、アドラー心理学は「哲学」でした。哲学とはなにか?それは「生きる態度」なのだと書かれています。そう、アドラー心理学は、心の中に指針としておいておけば良いものだったのだと気付きました。
話は変わりますが、「科学」自体もやはり宗教的であったり、哲学的であったりという背景を持ちますので、実は何も矛盾することではないと後で気づきました。
尊敬とは
尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。
とかかれています。「尊敬する」ってすごく体力のいることなんですね。相手と向き合った時、相手のそのままを見る。そのままを見るということ。これって実は科学的な態度なんではないでしょうか。アドラー心理学は哲学だけど、その態度はじつは科学的であろうとする態度そのものなのではないでしょうか。
「他者の関心事」に関心を寄せる
相手を尊敬し、ありのままに見る。その具体的な一歩。それは、
「他者の関心事」に関心を寄せる。
ということ。言い換えると、
「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること。」
どうやったらそんなことができるのか。アドラーの提案は、
「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生をもっていたら?」と考える。
ということ。これが「共感」という他者に寄り添う時の技術であり、態度だと説きます。
つまり、自分が相手だったらどうかと想像を巡らせる。寄り添う。他者との距離を縮め、自らが飛び込む。
そして、それは愛するということ。
愛するとは
愛するとは、何の保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
自分を委ねるためには、自分を信じてあげないといけない。自分への愛を周りに分け与えていくイメージでしょうか。
別れるために出会う
われわれに与えられた時間は、有限なものです。そして、時間が有限である以上、すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立っています。
すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。
いま、この時の出会いが別れでもあると考える。そうすれば、その人との最良の別れにむけてその瞬間を有意義にできるのではないでしょうか。
生物学的に、自分という人間は、瞬間瞬間に変わり続けているといいます。つまり死に続けているのです。対人関係も同じなんですね。 その時の出会いを死に向けて全力を傾ける。そういう気持ちを持てれば、心の態度も変わってくる気がします。
運命の主人公になる
未来が見えないこと、それは未来に可能性があるということです。われわれは未来が見えないからこそ、運命の主人公になれるのです。
可能性の中に生きて、外に出ようとしないことを批判しているのもアドラーなのですが、可能性とは未来と捉える。何も見えないことは、自分が主人公だということ。
1日を大事にしよう。