読みました。ハマトンが誰かは知りませんが、何度も訳されている本で人気のある本のようです。
どのような年代の人が読んでも面白いと思える部分はあるように感じます。
考察への執着と無益
自分の考察には別にもっと適当な対象があると自ら判断していながら、それでも放棄できないほど一つの対象に執着してしまうことは無益なこと
どういう文脈かは忘れましたが、このようなことが書いてありました。エネルギーをかける場所を間違えてしまう良い例かと思います。考える対象を間違ってしまうのかもしれませんし、考えると悩むを混同してしまっているかもしれません。考えているか?ということはいつも気にしないといけない点だと思いました。
好き嫌いについて
好き嫌いをどう扱うかは重要な問題です。なぜなら、世の中は好きなことだけでは生きていけないことが多いし、嫌いなことだけでは生きる意欲を失うからです。
嫌いなことにも利点があります。それは意思の訓練になるという点です。例えば勉強のできる人、弁護士など、興味の必ずしも持てない情報を大量に処理することは好き嫌いに打ち克ってこそなせる業です。そして、嫌いなことを克服して、できるようになることで好きになる。という可能性もありえます。
しかし、ここで指摘されているのは好き嫌いを全面的に無視してはならないという点です。自分の内的な法則を社会通念により押し潰してしまってはいけない、と述べられています。
好き嫌いは最初の違和感です。それは克服もできる場合もあるし、自分に馴染むこともある。けれども、自分に馴染んだように見えても、自分が訓練により馴染ませた可能性を忘れてはいけないということです。例えば、他人から臓器を移植したとして、それが何の問題もなく機能しているからといって、それが元から自分のものだとは言い切れないのと同じだと思います。
自分を殺して社会通念に合わせた自分を褒めることも大事です。同時に、殺した自分はやっぱり死んでいない、と認識することも大事だと感じます。つまり、無かったことにはならないので、いつまでもケアを怠ってはいけないし、その違和感に従うことが社会通念に従うよりも大事な場面だってあるはずなのです。
友人
大事な友とは仲良くなりすぎないことを説かれています。1から10まで知り尽くしてしまわないことを大事にするべきとのことです。
また、教わるということは知的な人間の時間を犠牲にしていることであることも記されています。
いずれにしても相手を搾取していないか、ということを大事にしたいと感じます。
選択
選択とは小さな真理と大きな真理の間でどちらかを選び取ること。
常に高度な選択をすることが知的であること、だそうです。
みんな間違っていない、あとは決めの問題だ、みたいなことはよくありますね。
決めの問題、というのは個人的には選択の放棄だと思いますし、こういうことを言う人は小さな真理、つまり手近で自分を守りつつ、責められず、波風を立てず、を選ぶのだと思います。それは先に述べたように、社会通念によって作られた正しさを選び取ったと言い換えることができるかもしれません。
それぞれが小さな真理に閉じ込められていることに気づき、大きな真理を追い求めることが選択である、と言うことなのかもしれません。
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