pleetm's blog

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考える教室 大人のための哲学入門 若松英輔

考えるとは何か。改めて「考えて」みるとそれは具体的な言葉になかなかできない、という方も多いかもしれません。また、自分では考えているとおもっていても、実は過去の経験や知識を基に反応している、あるいは選択しているだけ、という場合も多いのではないかと思います。

この本はその「考える」という行為を「対話する」「考える」そして「働く」というて3章に分けて論じています。

この3つの共通点は、「考える」という行為が、すべからく身体を伴っているからではないかと思いまうす。「考える」というと頭だけで完結するように感じがちですが、ほんとうに「考える」ためには、身体、すなわち体験や没入といったものが付随するのだと思います。

 

では、「対話」とは何でしょうか。本書を読んで、ぼくは「何を語るか」以上に「どう語るか」が重視されていることがわかりました。実際には、「どう語るか」に言葉では要約や代替のできない「ほんとう」のことが含まれているのだ、という指摘にはハッとさせられるところがありました。

語られる言葉は平易な凡庸な言葉かもしれません。けれど、その人がどう語るかで、その意味するところはまるっきり変わってきてしまうのだろうと思います。そして、その言外の意味をどうすれば捕まえることができるのか。その他者の言葉をほんとうに理解できうるのはその経験に身を投げ出したことのあるものだけなのかもしれません。そのような目に見えていないものに、耳を澄ましているか。

とはいえ、理解できない、と突っぱねているわけではありません。わからないものを長く問いを続けるということが哲学の醍醐味であることを筆者は訴えています。はっきりしない、わからないもやもやしたものをもやもやしたまま、どれだけ保持し続けることができるか、それこそが考える力と言い換えてもよいかもしれません。

その手段が対話であり、対話の一つのあり方として読書があります。だから、ぼくたちは読んでもよくわからないが、どこか心を捉えて離さない本、というものに出会った時、何度も読み返したりするのではないでしょうか。

こういったことはわかりやすさが求められている現代にこそとても大事なアンテナになるのだと思いました。