読みました。
いつも内田先生には助けてもらっています。今回も安定感がありました。自分がどれだけ小さい箱に閉じ込められているかということを認識させてくれる示唆に富んでいると思います。
例えば、
あらゆる欠点はその人の個性の根幹の部分とつながっています。欠点だけ補正して、長所だけ伸ばすということはできない。
簡単に言えば、頑固であることは意志が強いこと。意志が弱いことはあらゆる可能性を考慮するということ。大雑把であることは、おおらかであること。全部源泉は一緒なのかもしれません。
自分に対する否定感と肯定感。これは相反するようでいて、源泉は同じなのですね。だから、自分を好きになるだとか、ありのままの自分を認めるということは、自分の源泉を見つめるということなのだと思います。それが自分に向き合う、ある意味での本当の自分なのだと思います。
また、適職について。
適職というのは、夢中でやっているうちに気がついたら何十年か経っていた。というようなもの。
こういう物差しで仕事を見つめれば、今やっている仕事が「嫌じゃないんだな」と感じる人は、ほぼ適職についているのでしょう。また、岡潔は「苦痛でない作業」を適職と呼んでいたと思いますが、これも同様ですね。その仕事はどのような作業が要素としてあるのか、その中でどの作業なら飽きずにやれるか。それを諦めずに探していけば、適職に近づいていくのだと感じました。
考えることが好き?人と話すのが好き?黙々とデータを処理するのが好き?みんなと作り上げるのが好き?いろいろあると思います。そしてそれをもっと要素に分解してみても面白いかもしれないですね。これも自分と向き合うことにつながるような気がします。
また、
自分が何をしたいかには興味があるけれど、この世で誰が自分を呼んでいるかということを考えたことさえないのではないか?
自分を探すのはいいけど、自分よがりになっていないか?それじゃ自分を必要としてくれている人の声が聞こえないよ。と言ってくれているように思います。
つい、目の前の安定を求め、本当に探しているものから遠ざかっている人にはこの言葉。
不機嫌に安定していると、「この方向に進めばいい」という直感を感知できなくなる。
つまり不機嫌な安定は不健全な状態である。健全な状態とはご機嫌な不安定かもしれませんね。もし自分がいつも不機嫌なら、直感を失いかけているかも?と考えてみようと思います。
面白かった!