語学や三段跳びなど、いろんなことに取り憑かれてしまうトリツカレ男、ジュゼッペ。そのジュゼッペは、ある女の子に夢中になり、その子の心の悩みを解決しようと頑張る。そんな話。
話としては単純かもしれませんが、自分は何かに夢中になることができているかなぁと考え直すことができました。
中でも、ジュゼッペの親友ハツカネズミが、ジュゼッペにかけた言葉。
「なにかに本気でとりつかれるってことはさ、みんなが考えてるほど馬鹿げたことじゃあないと思うよ。」
「そりゃもちろん、だいたいが時間のむだ、もの笑いのたね、役立たずのごみで終わっちまうだろうけれど、でも、きみが本気を続けるなら、いずれなにかちょっとしたことで、むくわれることはあるんだと思う。」
この言葉は、本書では結果的に、大好きな女の子を助けることにつながります。しかし、他の人生を生きていく上でとても大事な言葉なんじゃないかなと感じました。
自分は目の前の物事に本気で取り組んだか?人からみたら下らないかもしれないことに一生懸命自分を注ぎ込んでいるか?そういった、先にはつながらないかもしれない「夢中」がその人を形作っていくし、それが個性や強みになっていくのかもしれません。
周りをみてみても、尊敬できる人って仕事できるのは当然で、プラスで面白かったり、ユニークさがあったりと、仕事以外の魅力を備えているように思います。
生きていくって、どれだけ夢中になれたかである程度方向付けがされてしまうのでしょうか?もしそうなら、夢中になることを避けてその場にとどまっているよりも、何かに夢中になってみて、自分の思っていなかった方向に一歩踏み出している。そんな生き方も素敵だと思います。
また、このハツカネズミの言葉は人間関係にも当てはまるような気がします。今の人間関係ってどっぷりと浸からないように警戒しあった距離感というか、でも、繋がってないと、孤独というより孤立状態になる。そんな中途半端な人間関係に何か変化を起こすためにも、この言葉は役立ちそうな気がします。
そして、この言葉は、言葉や映像だけで頭でわかったつもりになっていずに、やってみろよ。そう言ってくれている気もします。