pleetm's blog

日々考えた事や読んだ本について書くブログです。自分の書いたことって相手にどう伝わるのか、興味があるので、お時間ある方はコメントしていただけると嬉しいです。このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。

Ank: a mirroring ape

読みました。

読み易く、面白かったです。

グングン引き込まれて次へ次へと読まされるのですが、文章の筆致というのでしょうか、地の文はすごく端正というか落ち着いていて、雑ではない、そんな筆者の丁寧に描写しようとする意図がすごく感じられます。

それは、おそらく、本作が自分の内面への問いかけと事件の解決ということなる探究だけどリンクをしていることと関係しているのかもしれません。論理的ではあるが理詰めで苦しくなるのではなく、そこでの感情が描かれているので、プロットをなぞるだけでなく、主人公をふくむ登場人物の人柄が見えてくる気がしました。

感染症的な何かにより暴動が起きていると考えられた、その暴動は実は感染症ではない機構で伝染する。その真相をめぐってストーリーは進んでいきますが、読みながら人を人たらしめていることは何なのか、と考えさせられます。その一つは狂気であり、暴力性である。実は、自分の中にこういった異常性を発見することは非常に大事なんではないかと思いました。つまり、自分は良い人間だ、悪いことは考えない、清廉潔白だ、と思いこんでいると、自分にある種居心地の悪い感覚が生まれてきた時にうまく対処ができなくなるのかもしれません。自分の中には常にアクセルとブレーキがあり、その両輪でバランスをとり成り立っているのだと自覚すること。決してどちらかだけで成り立っているわけではないこと。それが自己への考察を深める上で大事にしておくことなのかと思いました。

もう一つ、思ったのは、遺伝というのは遺伝子によってのみなされるわけではないということ。つまり、自分たちが生きている社会そのものが遺伝子なのだということです。私たちは、外界に反応して生きています。環境からシグナルを受け取り、それを事故に反映し考察を深める。そして、その反応はまた、環境という他者にフィードバックされる。

そのように考えると、環境性への反応の強さ/弱さみたいなもの、もっというと、社会から受けた試練や悩み、苦悩にどのように反応したか、何を嬉しいと思うか、など環境への反応強度が遺伝するのではないか、それは個から個、個から社会に対しても。だから、通常、人は死んでしまったらその知性やそのレガシーはなくなってしまうもの、ゼロになるのだとおもうのですが、いや、ゼロになるのだと思うのですが、それを受け継ぐ次の世代はその反応性の強さを受け継いでいる。つまり、ゼロから先代の人が行き着いたところまで行くのにかかる時間が短くなるのだと思います。そこから独自の成長が始まる。そのようにして、個も社会も遺伝子を引き継いできたのではないか、と感じました。