pleetm's blog

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日本の覚醒のために─内田樹講演集 (犀の教室)

読みました。

講演集との題のとおり、口語調になっているので、非常に読みやすいです。

日本には対外的なメッセージがない。

こんなことが書かれていました。

海外から、日本はこのように見られている、という文脈での一節です。

日本という国には素晴らしいものがたくさんある。

映画、音楽、芸術など、たくさんの素晴らしいものがある。

しかし、日本には語るべきメッセージがない。

特に、政治的に日本は世界がこうあるべきというビジョンについて語ったことがない。

これは日本という国や日本人を非常によく表している言葉だと思いました。

社会でも、会社でも、こうあるべきと言うこと(いわゆる正論)を掲げる人はあまり良い目で見られない、という状況に出会ったことのある人もいるかもしれません。ただ、正論ばかりいう人は確かに嫌われるかもしれませんが、他の見方もできると思います。

つまり、海外の人からみたら、ビジョンや主義を持たない人とは話せない、ということなのかもしれません。相手が何を考えているか、それが自分と同じ考え方である必要はないのだと思います。話すに足る人物であるかどうか、の指標がビジョンを語ることができるかどうか、と捉える文化なのだと思いました。

日本人が日本の中で暮らしている分には、そういった理想を掲げて、あえて人から白い目を向けられるようなことをする必要はないかもしれません。しかし、グローバル化が進んだ社会では、良くも悪くも、欧米的な考え方と接することになると思います。そのような場合に、正しくなくてもいい、何かしらの信条を持って人と接するということが特に欧米の方と対等に会話する上で重要になるのだろうと思います。これは簡単なことではないと思いますが、若い人には割と浸透しているのかもしれません。

しかしながら、欧米のスタイルに合わせることが全ていいわけでもありません。日本の人は、多くの場合、細部から全体を考える傾向にあるからです。つまり、目の前のことを突き詰めることによって世界の真理につながる、という感覚を持っているのだと思います。それは、頭で作り出したビジョンではなく、突き詰めることにより自然とみつかる類のものなのだと思います。こういったアプローチは先述した映画、芸術、音楽に深みを与えたり、違う文化の人が見ても素晴らしいと感じるものに昇華されるのですから、こういった職人的な考え方も常に持っておく必要があるのだと思いました。

繰り返しになりますが、どちらが正しいというよりかは、自分たちがこのような考え方をする傾向にあるのだ、ということを意識しておくことで、相手からもリスペクトされることにつながるでしょうし、対等な相手と思ってもらうことにつながるのではないか、と思います。

コミュニケーションの本質=想像力=国語力

「コミュニケーションの本質」についても話されていました。

コミュニケーションが上手というと話が上手というふうな意味になることが多いと思いますが、ここでは、コミュニケーション力を「コミュニケーションが成立しなくなった局面を打開する力」と表現していました。そして、打開するにはマニュアルはなく、相手との関係性の中で、「自己裁量」「自己責任」において、「ふだんしないこと」により回路を復元する作業だと説明されていました。「ふだんしないこと」をする、ということは定型を離れることであって、ラジオの周波数を合わせる作業に喩えられています。ラジオの周波数を合わせるために、ダイヤルを回したり、アンテナの角度を変えてみたり、外に出してウロウロ歩いてみたり、そんなことを想像力を使って自由にいろんなやり方を試すこと、そのやり方をたくさんやれる人をコミュニケーションの高い人といえそうです。

では、コミュニケーション力を高める、つまり想像力を高めるためには、何が必要か。それが「国語力」だということです。ここでいう国語力とは、「自力で言語を豊かで多様で、味わい深いものに変成していく力」と述べられています。

このような力を養うためには、どうするか。一朝一夕に手に入るものではなさそうですが、身体に染み入る言葉を感じると良いそうです。読書百遍自ずから通ず、という言葉にあるように、テキストの息遣いまでわかる程に読むことで、その作者の身体性に接続できるのかもしれません。わからないな、とおもう人の本でも何度もトライして、わかったという経験は誰にでもあると思います。多分それは、無意識に何度も自分が作者に対してチューニングを繰り返して、自分の想像力の範囲を押し広げるということをしているのかもしれません。多分これが定型を離れることにもつながり、他人との間に橋をかけることに役立つのだろうと感じました。

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)

 

 This is a spoken style description so that it is very easily readable.  Nonetheless, the message is very important and crucial.

Japan has no message to deliver.

Japan has a lot of wonderful things such as movies, music and art.

However, there is something Japan doesn't have.

It is a message.  Japan has never said about a vision on what the world should be like.

This is an expression that offers a clear description on Japan.

Nowadays, we live in the globalized world where wersternized value would be dominant at every corner.  In such a world, there should be a vision or a principle in each person's mind.  This would be a condition for people to talk with others on the same level.  Otherwise they see us as a person who are worth discussing with.  Unless they consider people as on the same level, real communication cannot exist.  

Having said that,  I don't say having vision is always a right thing because Japanese way of thinking also has a good aspect.  I think Japanese tend to find the truth in a small element.  Ken-do, Ju-do and Sa-do are a good example.  This 'do' thing is a something by which people will find their own truth through continuing exercise.  This style could lead to achieving the creation of wonderful movies, musics and arts that people from different culture fall in love with.  In this sense, we should keep having this invaluable value that intrinsically belongs to us.

 

What is communication? It is the ability of imagination. And It is the ability of language. 

The speech in this book defines communication competence as the ability to overcome the situation where communication con not be made.  To change the situation, there is no manual.  We only have our own imagination. In the absense of manuals, we have to give it a lot of try by attempting a lot of things you don't usually do with the full use of imagination.

How the imagination can be nurtured? The determining factor would be a language skills.  But, in this case the skill does not mean the ability to make a high score at exam.  The language skill is the ability to keep making your language rich, deep and diverse by your own.  To this end, we should read. But just reading is not enough.  We should read until you feel like you can see the life of a book.  If you try to do so, you will read many times and repeat tuning yourself with the author of the book uncounsciously.  This uncouscious repetition of the attempt can lead you to connecting yourself into the heart of th author.  This leads to being away from stereotype,  pushing out your limit, and bridging with the others.