読みました。
心理学者、作家、詩人それぞれの観点から、「読む」ということ、「聴く」ということのついて、話し合います。
読むスタンス、聴くスタンスは三者三様なのですが、その処理のプロセスは非常によく似ていることが面白いと思いました。
つまり、「無意識に任せている」ということを非常に大事にしている。
河合さん
「自然に起こるということはものすごく大事です。」
「自分で覚えて、自分で忘れて、残るやつがいい。」
谷川さん
「優勢な文字文化の中で失っているもののことも考えなければいけない。」
これは言葉というのはある種概念を限定する効果があるということでした。「山」という言葉があると「山」が分かった気になる。でも、その実、あの山もこの山も全部違う。それは感性によってわかる。
立花さんは覚えて忘れて、残るということをもう少し社会的なものにも当てはめて考えているようです。
インターネットにあふれている言葉の量は膨大だと思うのです。でもそのほとんどが消えていくものです。皆の記憶の中に残った、ほんの一言二言みたいなものが、さらに時間をかけてたまっていく。そういう過程もおそらくあるのではないか。
人の頭の中でもたまったものが一つにまとめ上げられる瞬間がある。社会でもそれが起きている。古典の時代からこのようなプロセスはあったけれども、インターネットの普及により、それが顕著になったと説明されていました。
そして、情報の検索についても、「出会い」と言っていました。つまり、何かを検索するとどっと候補が出てくる。そこでどのような情報を取捨選択するか、それは出会いそのもの。出会いの数が圧倒的に増えたということですね。
そうすると、大事になってくるのは、選ぶ側。河合さんは「知恵」ということばを使っていましたが、今、出会い(=情報・知識)の方が多すぎて、選ぶ能力が落ちている、そんなアンバランスな状況になっていないか。
知恵をつけるにはどうするか。河合さんの言葉をかりると、
「読むこと」、「聴くこと」の背景に「生きること」がある。
ということばがぴったりしていると感じました。
まず、「生きる」。そのために「出会う」。そう思うと、まずは自分と自分の無意識に向き合ってみる。その声を「聴く」という時間も大切なのだと思います。