読みました。
邪悪なものの鎮め方という題ですが、内容は特にそれに限ったものではありません。
生きていく上でどんなマインドでいるべきか、示唆を与えてくれます。
内田先生の言葉は切り口が鋭いです。ただ、そこに何か優しさやユーモアみたいなものがある。それいったところに多くの読者の方も共感されるのだと思います。以下、感想です。
学びとは
予備校での講演内容。なぜ勉強するのか。
内田さんは、
何に役に立つか今はわからない。けど、いずれ役に立ちそうなものをとりあえず合切袋に放り込んでおくこと。
と表現しています。そして日本辺境論でも述べられていますが、「役に立ちそう」な気がする。その感度、反応する能力こそが学びの根本なのだと思います。そして、その心がけは初心であり続ける、居着かないということなのだろうと思います。
脳というのは役に立ちそうなものを潜在的に探し当てている。それに意識の自分が気付けるか。オープンであれるか。敏感であれるか。それは世界が変わるわけではなく、「私」が変わることによってしか成り得ないものだと書かれています。
まず隗より始めよ
小さくてもいい。自分の範囲で「気分のいい世界」を立ち上げる。
そして、そこに出入りする人を増やしていく。
そうすればいつか外界が変わる。
自分にとって、気分のいい世界とは?
ブレイクスルー
自分自身が良否の判断基準としている原則そのものの妥当性が信じられなくなる。それがブレイクスルーの瞬間。原則に捕らわれていてはブレイクスルーはない。
原則的に生きていると、ある段階までは順調に自己教化、自己啓発に成功する。しかし、その段階を過ぎると自閉的になり、成長が止まってしまう。
と書かれています。
小さい時、若い時は優秀だったけれど、大きくなったらそうでもない。というひとは原則的に生きすぎたひとなのかも?親や教師が敷いたレールにのっているときは良かったけれど、そこから外れると、これまでのやり方を続けるしか、それに固執するしかやり方がわからなくなってしまう。
自分は物事や直面した課題に対して、原理・原則に当てはめて処理しようとしてないでしょうか?
現状をありのまま認識しているでしょうか?
他にも内田樹先生の本を読んでいます。
ぜひご一読ください。