日本が誇る大数学者岡潔さんの本です。
深くて、深くて自分が感想を述べたり、まとめたりするなんてできないほど、一つ一つの言葉にメッセージが詰まっています。
もちろん、書かれていることをすべて理解する(本書の言葉で言えば「体得」)ことはできないですけれども、自分にとって大事なことだという感覚をひしひしと感じました。
岡さんは、根源的な問いについて考えます。
だいたい、「生きる」とはどういうことだろうか?
「わかる」とはどういうことだろうか?
「生きる」とは、冬枯れた中、緑の大根畑が「生きて」いる。
これを感じるこころ、つまり情緒だと述べています。
ただの生命活動が生きるということでは無いということ。生きるとはもっと感じるものなのだと言っているように思います。
そして、
「わかる」とはどいういうことでしょうか?
意味がわかるというのは理解しただけ。
全体の中におけるこの位置付けがわかって意義がわかる、という。
それでは足りなくて、自分がそのものになることによってそのものがわかる。
これを「体取する」「体得する」という。ここまでいって初めてわかるというということです。そして、「わかる」ためには当然情緒が働かなければなりません。
自分はそこまで深く物事を見れているか?
社会では心を閉ざしている方が生きやすいかもしれないけれど、なんかそれってつまらない。少し、少しでいいから情緒でものを考える。そして情緒を大事にしてあげる、壊れてしまわないように。