読みました。
数学者である森毅先生の本です。
岡潔先生の本もおもしろいですが、森先生の
「まぁ、えぇやん」という感じ、すごく好きです。
そんな森先生の本、『数学受験術指南』。
題名だけみれば、受験数学の本と思ってしまうかもしれませんが、
内容はもっと深く、興味深いものになっています。
受験や数学というものを通して、人生の生き方、思考の育て方、また個性といったものについて語られています。受験の醍醐味はやったことのない問題に対して、時間内でなんとかやりくりすること。森さんはこれをうまく発展させたんだなぁと感じました。
森さんは勉強する事を通じて自分に目を向ける習慣をつける事が大事と説かれています。
受験は他人と争うものなので外に目を向けてしまいがちですが、基礎になるのは自分に目を向ける習慣。みんなが外に眼を向けているからこそ、外に眼を向ける習慣を持っているとすごく有利だと。
例えば、計算間違い。しないよう訓練する事も当然大事なのですが、自分がどういうところでミスを犯しやすいか、という事、自分の癖なんかに日頃から気をつけていればよりよいチェックができますよね。
技術といえば技術ですが、それを通じて自分というものを見つめていくことが大事だと感じました。ミスはするものですから、ある程度で開き直って癖を見抜くと効果的だと感じました。
そして、森さんはこういいます。
「他人を気にするくらいなら、自分を気にしろ。」
そうすれば、自分の癖もはっきりしてきて自分流のやり方が自然に生まれてくる。
以下、引用。
問題をたくさんこなす必要はない。
いろんな角度から、とことん検討しておく方がむしろ力がつく。少しの問題を解いただけでも、多くを学び、大きな力をつけることが、受験勉強の技術である。できるだけ少量の訓練から出来るだけ良質の力を身につけること、これが技術の獲得ということである。量にたよるというのは「勤勉」いう名の知的怠惰にすぎない。
これは非常に挑戦的な示唆だとおもいます。
一生懸命働いているけど、ただの「勤勉」になっていないか自己反省が必要です。それに仕事にも通じるところがありますよね。同じ仕事を経験した異なる人がその後それをどう活かすか殺すか、獲得するかということはよくみられる社内でよく見られる光景だと思います。この少しが数年後、大きな差になるのだと思います。1つ1つの出来事を丁寧に経験する、ということの大事さを痛感します。
この言葉も非常に印象的でした。
今の受験戦争はキビシイのだ、なんて言わせない。ぼくの生きたのは本物の戦争のなかの、本物のファシズムの時代だった。
今と昔の受験制度は違うのだから、と言い訳のさせない一言です。
こんな心強いひとことも。
「王道を求める」のが人間の本性である。当然、数学にも王道がある。それは、その人間が自分の道として見いだしていく、その道である。受験にだって王道はある。それは、キミ自身の道であり、それは自分自身で見つけていくものだ。
自分が、選んで歩く道。それが王道だと言うことです。つまり、王道ってのは振り返ったら見えるけど、前には道しるべなんてない、荒野なのかもしれません。そんな荒野を個性的に歩いてく、それが王道の作りかたではないかとかんじました。
自分を見失いがちな、僕にこんな言葉。
集団を大事にすることを、否定しているのではない。ほんとうに自分自身を大事にすることで、自分の関わっている集団が意味を持ってきて、そうした集団の大事さが意味をもってくるものだ。自分を大事にできないものはそうした集団を大事にすることだって本当にはできないのだ。
自分を大事にするということは、けっこう人生の大事業なのだ。
このことばは何年後かに読み直すとちがったふうにとらえられるのではないかと楽しみになるような言葉です。
皆さんは、いろんな出来事を丁寧に扱えているでしょうか。少し俯瞰して自分をみれるようになった気がしてます