pleetm's blog

日々考えた事や読んだ本について書くブログです。自分の書いたことって相手にどう伝わるのか、興味があるので、お時間ある方はコメントしていただけると嬉しいです。このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。

よみがえる力は、どこに

よみました。

 

城山さんは戦中派(10代の多感な頃に終戦を迎えた世代)です。これまでの常識がひっくり返る、という非常に稀有な体験をされている世代と考えることもできて、この世代の方の特徴として、「自分で考え抜く」ということがあると思います。それは、それまで正しいといわれていたものが完全に否定され、いままで間違いだといわれていたことこそがこれからはスタンダードだといわれるアイデンティティの大転換を経験していることに起因していると思います。

だからこそ、その思考は何かをよりどころにしているのではなく、徹底的なまでに論理的だし、真実に近づこうとする姿勢がひしひしと伝わります。

 

この本では、魅力ある人間の育て方、ということがかかれていました。

考え方の大原則は、自分は自分の道を行く。後ろに道はできる。ということ。

また、組織というものを信じない、強い人間の力が組織をよりよい方向に動かす。組織を乗り越える。

 

そして、ある子育てを例に出し、それは教育ではなく「飼育」だと断言します。その女性は子供のために大事といわれることを全部やり、一生懸命に、無私の精神で、子供のために自分を殺して育るのですが、子供は全く思うように育たないという結末です。これはすべて間違いだったと城山さんは言います。これは飼育だといいます。飼育とは自分の設計した世界に子供を引き込んだだけ。子供そのものを見ていない。と言っています。

友達も、教師も選んできた。良いといわれるものを選んできた。しかし、このように育てられたいわゆるエリートは、社会(付き合う人を選べない)という状況から人生の栄養を得るという経験をしてこなかった。その能力は大きくなってからは身につかない。そして、失敗すると挫折感が大きく生きていけなくなってしまう。

 

このようなことはおおかれ少なかれあるとは思いますが、「考える」ということを忘れてはいけないとおもいました。

よみがえる力は、どこに (新潮文庫)

よみがえる力は、どこに (新潮文庫)

 

 

 

よみがえる力は、どこに

よみがえる力は、どこに

  • 作者:城山 三郎
  • 発売日: 2012/06/01
  • メディア: 単行本
 

 

おとなの進路教室

よみました。

自分が何をしている人間なのか、話さないと伝わらない。ただ、話したところで、正しく伝わるわけでもないし、誤解されることもある。だからと言って、何も言わなければ何も始まらない。とすると、誤解は恐れず、おもったことを言わねば、となるかもしれないが、そう簡単にできることでもない。

それを少しでも助けてくれるツールがコミュニケーションであり、言葉だと思います。つまり、自分が理解されなくて苦しんでいたり、理解できなくて苦しんでいる人は、他人と自分を橋渡しする言葉を上手く使えていない可能性がある。

ただ、ぼくはこの本を読んでいて思いました。自分は人と人とは、理解しあいたいし、その関係を深めたい、それが根源的にある欲求だから、コミュニケーションとしての言葉という話は成り立つのだと思います。だけど、世の中には、これを根源的な欲求として持たない人がいることも確かなようです。つまり、自分は自分を表現する努力をしたり、自分の足りない部分を改善するつもりはないけれども、私は私のままでそれを理解しなければ話はできない、と考える人もどうやらいるようです。

人は社会的な動物であるという、前提を否定するような人に対して、どのようにコミュニケーションをとるか、それもまた、これからの社会の課題なのではないか、と思います。つまり実は、言葉をわかっていない人がすごく多いのではないか、わかっていると思いこんでいてわかってない人が実は相当する居るのではないか、と日々感じるからです。しかも、それは、若いから、年とっているから、とも関係ないようなのです。お年を召した方でも、どうやら、相手を理解しようとしない(なぜか?しているとおもっているから!)、そして自分の理解のとおりでないとそこで思考は停止し、アップデートがされないということを繰り返しているように思います。そのような人はこのような本は手に取らないのでしょうし、でも、コミュニケーションができると思いこんでできていない人がそこかしこに増えてしまうと、どんなに感がて、一生懸命伝えてももう伝わらないのかもしれない。本当に言葉というのは力を持っているのか。本書を読みながら、まだ言葉に力があるのなら、それに気づいた人は少しでも言葉の運用能力を上げていかないといけないと思います。また、それだけでなく、伝わる人に伝えるだけでなく、伝わらない人にどう伝えるか、も考えていかないといけないと思いました。

 

おとなの進路教室。 (河出文庫)

おとなの進路教室。 (河出文庫)

 

 

居るのはつらいよ

 よみました。

なにかドラマチックなことが起きるわけではない、だけどぐいぐいとひきこまれ、読みながら終盤にはしらずしらずに心臓の鼓動が早くなっていました。それは、居る、ということがどれだけはかなくて、難しくて、脆いかをひしひしと感じ、居ることができない、と感じることがこんなにも胸が締め付けられるようになるのか、ということを読み進めながら感じたからです。どこに生きにくさを感じているのか、それはどうすれば解消されるのか、あるいは緩和するだけで大丈夫なのか、どの程度まで深く向き合う必要があるのか、それは人それぞれとは思いますが、本書はそのような生きづらさを感じる人にとって何かヒントになるのではないかと思います。本書に出てくるキャラクターのうちどこか自分に投影されるような弱さをもっていて、それぞれに向き合いながら、出たり入ったり動的な平衡を繰り返すケアセンターをのぞかせてもらうことができます。

また、人が「遊ぶ」ということがどれだけ難しいことか、に改めて気づかされました。遊ぶというのは、ある種の制約から逃れ、自由に考え、やってみたり楽しんだりすることかと思いますが、それを構成する要素は何でしょうか?遊ぶには夢中になる必要があると思います。では、夢中になるには、どうすればよいか?夢中というのは、一つのことに没頭しており、他には注意がいっていない状態ですから、安心できる環境でなければなりません。しかも、それは、物理的にも精神的にもです。つまり、ぼくたちは子供のころ、たくさん遊んだと思いますが、それは親なり学校なりが、無防備に夢中になっても大丈夫な状況を作り出してくれていたのだと思います。だから、たくさん遊べた子ども(つまり、たくさん依存できた子ども)というのは、他者に対する信頼を置くことができる(=自立する)ように育つのだと思いました。

では逆に、いろいろと押さえつけられて育てられると、どうなるか。やってはいけないことやいってはいけないことが多すぎて、安心ができないのではないでしょうか?安心ができないと、集中はできないと思いますし、結果その制約に気を取られて、注意散漫になってしまうとおもいます。その根底には不安がつきまとい、自分が「居る」ことがダメとすら思ってしまうかもしれません。そして、信頼するということが分からなくなってしまうような気がします。

だから、自分たちが子供の時、好き勝手遊ぶことができた人たちは、もしかしたらすごくラッキーで、もしかしたら、そうでない人の方がこの世の中には多いのかもしれません。もしかしたら、好き勝手しているつもりでも檻の中だったのかもしれませんから、どれだけの人が本当に安心して育ったのか、僕にはわかりません。でも、それくらい、簡単なようでいて、難しいことなのだということを知りました。

最後に覚えておきたいと思ったのは「ケア」と「セラピー」の違い。

「ケア」というのは、「傷つけないこと」。相手の依存原理に基づいており、とにかく「居る」ことを肯定する。あなたはそのままでいいんだよ、というのが分かりやすいかもしれません。つまり、これは自分は変わらず、環境がその人のニーズに合わせて変わる、ということです。

「セラピー」というのは、「傷つきに向き合うこと」これは自立原理に基づいており、ニーズを単に満たすということではなく、ニーズを変更すること。つまり、なぜ、自分はさみしく思ってしまうのか、苦しいのか、など、その気持ちに向かい合うことです。

そして、大事なのは「ケア」なしに「セラピー」は成り立たない。というか両者は混在しているというkと。ケアしている時にも、いくらかのセラピー要素は入っている、ということです。そして、どちらも大事でケアだけしていても、ほしいほしいになってしまうし、セラピーだけしていてもその人は向き合えなくなるからです。これはとても難しいバランスだと思いました。

 

人はおおかれ少なかれ何かの傷を背負っているのかもしれません。それでも、居てもいい、という場所があって心の支えになる場所が確保されているというのはセーフティネットとして非常に大事だと思いました。

 

 This book is kind of a diary about care and therapy,  Both of these appear to be the same or similar, but in fact they are completely different. The writer emphasized therapy than care because therapy is something that deal with the problem patients are facing, but he changed the thought through experience of working in a care center.

Reading the book made me realize that what we took for granted was actually precious. We used to play and enjoy freedom in our childhood, but it might not be ensured to some people.  I thought this way because plaing freely needs safe environment mentaly and physically.  It sounds easy, but it may be very difficult to some households.  The parents might impose restrictions on children or didn't respect their freedom of thinking.  If you are raised such hard environment, you may feel you shouldn't be here without any conditions.  That's very sad.

Also, I reallized how different it is between care and therepy.  Care is to avoid offending someone and meet the needs by saying you are alright in the way you are.

On the other hand, therapy is to face yourself.  It doenst mean meeting needs, but shift /change the needs.  You will think about why you feel lonliness or sad.  You may change yourself.

More importantly, therapy doesn't exist without care.  And bothof those are mixed oftentimes.

2020年6月30日にまたここで会おう

すごくライブ感のある本でした。1~2時間あれば読み終われてしまいます。

とはいっても中身はすごく凝縮されていて、ズバッと核心をついて、その熱量が伝わってきます。

 

一番面白いとおもったのは、カリスマやすべてをひっくり返してしまうような形のリーダー像を否定しているところです。それだけでは、世の中は変わらない、変えるものはもっと別のもの、それは一人一人が責任をもって、思考をして、決断する、ということ。瀧本さんの配りたい武器というのはそれなのだと、熱く語っておられました。つまり、誰かが変えてくれると思うのではなく、みんながそれぞれ自分の持ち場を少しずつ少しずつ変える努力をする、それが革命というムーブメントになるのだろうし、時代というものを形作るのだろうと思いました。

僕たちは、既成の仕組みの中で生きているうちに、それに沿うことに何も疑問が浮かばなくなってしまっているのかもしれません。でも、本来、その仕組みや制度とこうありたい、という希望や意思がある順番は逆だったはずです。あるべき未来を作るために、それを後押しするものとして制度がある、それが本来のあり方のはずです。だけど、なぜかいまは、「まぁ、そうなっているなら仕方ないか」とどこか何かをあきらめたところからスタートしているように思います。そういった人は自分の思考が制度によって制限を受けていることにすら気づいていません。だから、逆に新しい考え=本来は自分も欲しかったはずものが提案されたとき、自分の枠(=制度によって形作られたもの)の外にあるという理由によってのみ、不快感を感じ、反対をしてしまうのかもしれません。そのような人に対して、枠の外を見ようといっても伝わらないかもしれません。だけど、その枠を見えている人たちは、すくなくともそういう人たちは何か気概をもって生きていってもよいし、自分で自分の責任を取りながら進んでいける世の中であればいいなと思います。

もちろん自分も見えない枠による制限をうけており、思考停止になっている部分もあるかもしれません。だけどその部分は他人には見えているのかもしれない。だからこそ、言葉を介したコミュニケーションが重要なのだとおもいます。また、他の人が自由に思考の羽を伸ばせるように心がけること、自分から見えているその人の枠を可視化することもまた、その人を後押しすることにつながるのかもしれません。

 This book is filled with a sense of live.  It just takes you 1 or two hours to finish reading.

It doesn't mean the book is scarce of findings and learnings, rather it is opposite.  I mean the book goes straight to the point and you can feel the passion of discussion.

What was important to me was that he denied the importance of calismatic nature as a factor that catalyzes transformation.  Only one leader will not be abe to change the world, but what is likely to change the world is each one of us.  Individual have to think and decide.  He want us to have the measure of thought and decision.  He additonally tells us that we should not expect someone to change our environment, but we should try to change our circumstance little by little.  HE gives us the weapon for it.  These individual actions will form movement towards revolution and it will shape an era.

 

そうか、君はもういないのか

 小説家?文筆家?である城山三郎さんの本。

自分の妻である、容子さんとのエピソードを綴られています。

本書の中で容子さんはとても愛くるしく、描かれており、城山さんは容子さんのこの天真爛漫さにいくら救われただろう、その屈託なく生きる感じがいくら白山さんにエネルギーを与えたのだろうと思いました。読んでいて、終始、そのような感謝というか、深い感情を、でも淡々と書かれていて、読む人の心にしっかりと根付くような感じがしました。

人生のパートナーとは、支え合い生きていくのでしょうが、でも読んでいて思ったのは、(書かれていたかもしれませんが)、お互いの領分を犯さないで尊重し合いながら共存するという形を取れていることに、このような関係の稀有さ、尊さ、を感じました。なかなかお互いにこうはなれないものなのかもしれませんが、不満のない形でお互いが共存するためにはこのような関係性がとても理想的に思えました。このような伴侶を見つけることができた城山さんはやはり幸せ者だし、容子さんもそうだったのだと思います。

 

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

 

 

縄紋

読みました。

縄文ではなく縄紋。そこにも意味はあるのですが、それは読んでみるとわかると思います。話は東京を舞台としたミステリー。東京の各地にのこる縄文時代の名残を追いながら、ある殺人事件との関係が読み解かれていきます。

その殺人事件のほうは、それほど突拍子もないことでもないのですが、本書を読みすす目ながら想像することのできる、東京における縄文時代の生活、それがとても興味深く、道を歩きながらもふと、そのような名残を探してしまいます。

また、いまの日本人の文化や価値観、神、宗教と言ったさまざまなものも縄文時代にルーツがあり、そう考えると自分たちが長い長い時間軸の中の一瞬を、その歴史に抱かれるようにして生きているのかもしれない、と思わせられます。そんな意味で、ミステリーではあるものの、とてもロマンを感じる、とても面白い本でした。

 

縄紋 (幻冬舎単行本)

縄紋 (幻冬舎単行本)

 

 

There was Jomon era in Japan, which was 25 thousand years ago.  It lasted so long that it was supposed to influence what we are now to a huge extent.  If you read this book, you will be able to find a lot of clues of Jomon whatever you see in your daily lives.  However, this book is not academic, but a mystery novel.  So, you can travel in Jomon era through reading the book, which is a pleasant journey.

Also, this book helps you understand our culture, religion, and value are rooted on Jomon, and it makes us feel we are living a moment in a longer time span than we can imagine.  It feels very romantic.

 

ハジの多い人生

読みました。

岡田育さんという方のエッセイ集です。

本名は岡田育子さんですが、こういう活動をしている時のお名前は子をとって名乗っているとのこと。

名前についてのお話もこの本には書かれています。

 

この本のハジというのは恥では無く、端の意味。

いわゆる世界の真ん中や常識と言ったものからは少し外れた、周縁とも言えるハジ。

そんなハジな部分がその人の普通であり、最も大事な部分でもあることが、本書を通して滲み出ています。

 

そんなハジに対する愛。

本書を読むと、こんな風でもいいかな、と肯定されている気がします。

読んでいて心地が良く、ホッとする。

だれを蔑むでも無く、避難するでも無く、自分にはこんなところがある、といわば淡々と、でも瑞々しく書かれている文章を読むと、こんな文章を書くことができれば、どんなにいいだろうか、と思います。

陳腐な意味ではない共感というのは、こう言ったある種ニュートラルな書き方だからこそ、読む人に伝わるのかと思います。

 

強いというのは、負けないことでも、相手を負かすことでも無く、自分に芯を持つことなのだろうなと思わされます。自信をなくすこともあるかもしれない、それもまた自分。そんなハジな部分を愛することができれば、本当の強さが手に入るのかもしれません。

ハジの多い人生 (文春文庫)

ハジの多い人生 (文春文庫)

  • 作者:育, 岡田
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 文庫
 

 

 

男は語る アガワと12人の男たち

読みました。

阿川佐和子さんのインタビューです。いろんな作家さんたちにお話を聞き、それぞれの考え方や哲学を掘り下げていきます。インタビュー時期自体はかなり前のようで、今では人から話を聞くプロである阿川さんも、色々試行錯誤されていたところが正直に感想として述べられていて面白いです。その人柄が、相手を話す気にさせるのかなと思います。

どの方との対談も面白いと思いますが、あぁそうだよなぁと思ったのは、「人はフィクションに生きている」ということでしたどんなに現実的生きているという人にとっても、「現実」には方向性も意味もない。それを「物語」にするのが生きるということ、どんなフィクションを生きるか、その物語をチョイスすることが生きているということと言えるのではないか、と言う話がありました。

これは、山田太一さんという方のインタビューでした。

男は語る: アガワと12人の男たち (ちくま文庫)

男は語る: アガワと12人の男たち (ちくま文庫)

 

This is an interview series with dozens of male writers.

Ms. Agawa is now a professional of interview, but at the time of interviews in this book, she was still progressing in terms of listening skills.

If your read the book, you will find she is struggling with it, but i thought the positive attictude could make them feel like talking their own thoughts.

Especially what makes me feel it interesting was 'we are living a fictional life'. We choose story or fiction you want to choose even if you are a realistic person.  The behavior of choice reflects what you are and what you want to be.

 

真贋(吉本隆明)

 

読みました。

短い論考をまとめたもの。

短いけれど、それぞれ真に迫ったことが書かれていると思います。

いろんなジャンルのことについて書かれていますが、なぜ本を読むのか、特になぜ文学を読むのかについては興味深かったです。

指摘されているのは、文学の有効性として、自分自身を慰めるところから始まったものが、偶然読者の目に触れ、読者の慰めになってくれたり、その人の精神状態になんらかのプラスを与えること、ということでした。

個人的な行為を掘り下げて行くことが実は他者にもなんらかの形で役に立つという構造は文学だけでなく、ビジネスを始めいろんな分野においても本質的なことなのではないか、と思いました。

 

また、やはりそうだよな、と思ったこととしては、正しいとされていること(あるいはやれと言われたこと)があったとしても、自分の気持ちが乗っていかないことがある時に、そのギャップを考え続けることが大事、ということです。現状と自分との距離について考え、やろうと思えばやれるのに、気持ちが乗らない、その理由を考えること、そして、それに対して、自分なりのアプローチを考えたり、いかに克服していくかというプロセスを考えることが大事なのだ、ということが述べられていました。

 

ややもすると、やれと言われそうやって済ませてしまおうなんていうことがあるかもしれません。でも、そういう時こそ、その瞬間に感じたギャップは大事にして考え続けなければ、進歩というものはないのかもしれません。本書にはギャップの理由を考える、と書かれていますが、どちらかといえば、どのような文脈からそのギャップが発生したのか捉え直す、という表現の方が実際の「考える」作業に近いと思います。「考える」ことはとても大事ですが、その内容は時と場合によって変わるので、どんなことを想像して「考える」と筆者が言っているか、は注意して理解しておくと、より深く言っていることがわかるような気がします。

 

真贋 (講談社文庫)

真贋 (講談社文庫)

  • 作者:吉本 隆明
  • 発売日: 2011/07/15
  • メディア: 文庫
 

 

This book contains a number of thoughts and ideas on everything around you, such as what a literature is, what history is and so on.

Each essay is short, but they are all suggesting the essential.

 

One of his essays is about the efficacy of literature.

He says literature begins with healing yourself and it is read by others, which leads to healing people who read it.

What is impotant here is that when you dig in yourself internally, it helps others in some way.  And more importantly, how it works will be applicable to other fields such as business and anything.

 

One more thing I want to mention here would be that it is important to continue thinking how far between what you should do and what you want to do.  If you keep asking yourself why the gap emerges and think of how you can fill the gap, you can find something new.

I think we all often face such a situation.  Your boss may tell you to do something, but you don't know why it should be done.  And you do with an unconvinced attitude, which leads to a negative cycle.

Amd here, 'thinking' is a very vague word, and so we should be careful of what it means depending on situation.  In this case, 'think' means take a track of the context that create the gap.  

 

 

 

心とお話のゆくえ

読みました。河合隼雄さんの本は読むたびに改めてそうだよなぁと思わせられることが多いです。

だいたい頭ではわかっていることであっても河合さんが言うとなんか説得力があるのがすごく不思議です。

落とされたと落ちたの話は面白かったです。

落とされた、と思うと、どうしても嘆きや恨みが多くなる。ああすればよかった、あいつが悪いからだ、など過去のことを

あげつらうばかりになる。

落ちたことを自覚し、自分のなすべき課題を見つけて、それに取り組む。これは継続する努力を必要とし、すぐに効果が現れることはない。日本にとっての課題とは、個性を尊重すること。個人の能力を最大限に伸ばすこと。

こころとお話のゆくえ (河出文庫)

こころとお話のゆくえ (河出文庫)