pleetm's blog

日々考えた事や読んだ本について書くブログです。自分の書いたことって相手にどう伝わるのか、興味があるので、お時間ある方はコメントしていただけると嬉しいです。このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。

僕たちの居場所論 (角川新書)

読みました。

読んだというよりも聞いたに近い感覚。

鼎談形式なので、三人が目の前で話しているかのような自然な雰囲気を感じ取ることができます。

テーマは居場所。

ここが自分の居場所だと思える場所がある人は幸せです。

みんなそういう居場所があればなぁと考えたことはあると思います。

この本を読んでいて、

居場所というのは、すぐそこに見つかるものではない。ということ。ましてや、必死になって探せば探すほど見えなくなって、自分から遠ざかっていくものなのかもしれないと思いました。

だけど、そうやって、もがいて、汗をかいて、探して、その後に諦めてしまった人に扉が開かれる。そんな場所が居場所なのかなぁと思います。

そんな苦労しなくても見つかってるよという人もいるかもしれません。そんな人は幸せです。

そんな苦労しなくちゃいけないのなら、探すのやめた、なんていう人もいるかもしれません。

だけど、やっぱり居場所がある人は幸せだなぁと思います。

だから、焦ることはないけれど、一生懸命、自分の居場所を探せばいいのだと思います。そして、絶望して、諦めて、あぁ、もうやだって思うまで頑張れば次に進めるような気がします。

居場所を探すというのは自分探しに似ているのかもしれません。結局、ここでいう居場所というのは、物理的な場所ではなく、自分の中に見つけることになるような、そんな気がしています。

 

 

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

読みました。

いつも内田先生には助けてもらっています。今回も安定感がありました。自分がどれだけ小さい箱に閉じ込められているかということを認識させてくれる示唆に富んでいると思います。

例えば、

あらゆる欠点はその人の個性の根幹の部分とつながっています。欠点だけ補正して、長所だけ伸ばすということはできない。

簡単に言えば、頑固であることは意志が強いこと。意志が弱いことはあらゆる可能性を考慮するということ。大雑把であることは、おおらかであること。全部源泉は一緒なのかもしれません。

自分に対する否定感と肯定感。これは相反するようでいて、源泉は同じなのですね。だから、自分を好きになるだとか、ありのままの自分を認めるということは、自分の源泉を見つめるということなのだと思います。それが自分に向き合う、ある意味での本当の自分なのだと思います。

また、適職について。

適職というのは、夢中でやっているうちに気がついたら何十年か経っていた。というようなもの。

こういう物差しで仕事を見つめれば、今やっている仕事が「嫌じゃないんだな」と感じる人は、ほぼ適職についているのでしょう。また、岡潔は「苦痛でない作業」を適職と呼んでいたと思いますが、これも同様ですね。その仕事はどのような作業が要素としてあるのか、その中でどの作業なら飽きずにやれるか。それを諦めずに探していけば、適職に近づいていくのだと感じました。

考えることが好き?人と話すのが好き?黙々とデータを処理するのが好き?みんなと作り上げるのが好き?いろいろあると思います。そしてそれをもっと要素に分解してみても面白いかもしれないですね。これも自分と向き合うことにつながるような気がします。

また、

自分が何をしたいかには興味があるけれど、この世で誰が自分を呼んでいるかということを考えたことさえないのではないか?

自分を探すのはいいけど、自分よがりになっていないか?それじゃ自分を必要としてくれている人の声が聞こえないよ。と言ってくれているように思います。

つい、目の前の安定を求め、本当に探しているものから遠ざかっている人にはこの言葉。

不機嫌に安定していると、「この方向に進めばいい」という直感を感知できなくなる。

つまり不機嫌な安定は不健全な状態である。健全な状態とはご機嫌な不安定かもしれませんね。もし自分がいつも不機嫌なら、直感を失いかけているかも?と考えてみようと思います。

面白かった!

 

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略

 

 

夢をかなえるゾウ

読みました。

kindleで無料だったので、軽い気持ちで読み始めましたが、すぐに引き込まれてしまいました。

登場するガネーシャ(ゾウ)はなぜか関西弁なのですが、それが本当に効果が出ているなぁと思います。少しお説教のようなおせっかいみたいなことを言うのに、関西弁はぴったりなんだと思います。言葉から優しさみたいなのがにじみ出るように思います。

基本的には自己啓発本ですが、いろんな人のエピソードをまるで友達のように語っているのも、自分と偉人が近くなれるような効果を出していると思いました。

そして、一番大事なのは、本書で何度も述べられていますが、行動に移すことです。僕自身、何も実行に移さないまま、本書を読み終えてしまったので、もう一度読みながら、行動に移してみたたいと思います。

この人が欲しがっているものは何か?』ちゅうことを考えながら接してみい。

相手の欲に気をくばってみる

自分から世の中に働きかけるんやのうて、自分の周囲に『反応』しとるだけなん

主体がなくなってる。

本来の夢って違うねん。誰に言われるでもなく、勝手に想像してワクワクしてまうようなんが夢やねん。

そうやったかもしれへんなぁ。

「人間ちゅうのは不思議な生き物でな。自分にとってどうでもええ人には気い遣いよるくせに、一番お世話になった人や一番自分を好きでいてくれる人、つまり、自分にとって一番大事な人を一番ぞんざいに扱うんや

そういうところあると思います。近くの人にこそ感謝の気持ちを持とう

人を喜ばせるという目的に照準が合うてたら、人のマネすることに恥ずかしさなんか感じひんのや。

自分にばかり目がいってる。

でもやれへんのや。なんでや? それは、『面倒』だからや。

 楽な方法ばかり探してないかなぁ。

「もし自分が変われるとしたら、行動して、経験した時や。そん時だけやで」

 やってみないと、何もわからない。

「『自分』や。自分には何か才能がある、自分にしかできない仕事がある、そのことに関してはあきらめたらあかん。見つかるまでそれを探し続けなあかん。自分自身に対してはあきらめたらあかん」

 いつになっても諦めなくてもよい。自分のことを信じてあげよう。

 

他にもたくさんありましたが、こんなところで。

 

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

 

 

米原万里ベストエッセイ❶

 読みました。

なにこれ。すごくおもしろい。恥ずかしながら米原万里さんを知りませんでした。こんなに魅力的な人がいたなんて。

とにかく、読んでいて、すごく気持ちがいいです。こういう文章を書けるのは本当に言葉と向き合った人なんだと感じました。その源泉がどこにあるのか、もっと米原さんの本を読んでみたいと思います。

また、示唆に富んだ文章もすごくあり、読んでいてなるほどと思わされます。

例えば、「自由」について。

不自由な方が自由になれるのである。
自由なはずが、結局、区別のつかない服を着て、同じ言葉遣いで、同じような番組を見て、似たようなものを食べている若者たちを見ていると、とくにそう思う。

この状況って、まったく今の日本ではないでしょうか。そして、それを「自由」だと勘違いしていると、みんな同じであることが当たり前、いや、同じであらねばならないと感じてしまう。正しい考えは一つ、答えは一つ、そうでないものは排除する。潔癖症になる。

それが社会全体に広がると、みんな仲良しなようでいて、実は警戒し合っているような、過度に人の視線を伺って生きるような、そんな窮屈な社会になっていかないでしょうか?

でも、もしかして、その「自由」をちゃんと「不自由」なんだと認識できている人は、その目に見えない「不自由」さのなかで「自由」になれるのかもしれないとも思いました。それが、日本という国で工夫して生きるということなのかもしれません。

 

 

マチネの終わりに

読みました。

平野啓一郎さんの本です。

40歳世代の恋愛を描いた作品。

 

運命の出会いだとお互いが確信するほどに思い合う二人。だけどその二人が一緒になることはなかった。それは不可抗力のようなそうでないような出来事のせい。愛し合っていた二人はお互いのことを忘れてしまうことはなく、様々な経験をし、数年後、また出会う。

 

この二人の恋愛をとおして、過去、現在のあり方を考えさせられる小説でした。

恋愛に限らず、あの時ああすればよかったのではないか。もっとこうしていれば、違う現在になっていたのに。と思うことは誰しもあると思います。

 

人生というのは自分の意思で切り開くものなのか。
あるいは人それぞれ、運命的に何か決まってしまっているのだろうか。

 

人生は自分の意思で切り開くことができるとして、やはり人知の及ばないところで自分の目標に達することができなかった人があるとします。

それって、自分の目標を達成できない人とみなされてしまうのでしょうか?
自分のやりたいように、楽しく生きている人からみて、「負け組」なのでしょうか?「弱い人間」なのでしょうか。

そうではないきがします。頑張っても頑張ってもうまくいかなかった。でも、その過去から逃げていなければ、ちゃんと向き合っていれば、その後に得る経験によって、思っていたのとは違う方向ではあるけれど、どこかに前進できるのではないでしょうか?

この小説ではその変化を主人公の職業である音楽性の変化にたとえて述べられていると思います。

そして、変化の先から後ろを振り返って、自分の過去を見直した時に、納得できるわけではないけれど、何か違う見方ができるようになっている。そんな風景を目指して、後悔もしたり、反省したりして生きていくのかなぁと思いました。

この小説で何度も出てきますが、「過去は変えられる」。

これはすなわち事実(過去)の結果として心(感情とか見方)があるのではなくて、心の先に事実があるのだと思います。

人はその心を鍛えるために進んでいくのかもしれません。

そう考えれば、実は、辛い思いをしても、考えようによっては、心の糧とできる部分もあるのかもしれません。

少し、きれいごとな感じもしますが、そのように生きれればなと思いました。

 

 

 

 

マチネの終わりに

マチネの終わりに

 

 

英語は絶対、勉強するな!

読みました。

この本があるのは知っていました。でもなぜか、敬遠していました。

読み書きはできるが、しゃべれない、典型的な日本人英語学習者でして、いろんなノウハウ本を読んできました。

けれど、なかなか効果はでない。

一度、読んでみようかと思い、読んでみたのですが、これ、答えじゃないでしょうか?

 

いつもの英語勉強はこんな感じです。

リスニングする。

スクリプトみる。

わからないところ確認して、何回も聞く。

ちょっと続ける。

聞こえた気になる。

やっぱり聞こえない。

これの繰り返しでした。

 

この本では、英語が「聞こえる」とはどういうことか、聞こえない人間にはわからないところを非常に丁寧に解説してくれています。そのおかげで何を目指せば良いのか、少しわかった気がします。

そして、もう一つ、「勉強しない」ということの意味もよくわかりました。

 

まず、「聞く」について。何を聞くのか。

「発音」を聞く。
「意味」にとらわれない。

朗読者の声の質や口調や話し方のクセを聞く。

正しく聞けている状態とは

無心に聞いているうちにふっと意味が浮かんできた。

ということ。これを目指す。 

聞き流すだけではダメ。耳をそばだてて聞く。

 基本的には聞いて、覚える。赤ちゃんと同じ。だけど、赤ちゃんのような柔軟な頭脳じゃない。だから、意識して、集中して聞く必要がある。聞き流してもだめ。

まずは耳を英語にチューニングする。この作業が退屈で根気がいるが、乗り越えなければならないポイントなのだと思いました。

 

「勉強するな」とは。

英語はツール。体得するもの。だから、学問として、勉強の対象としてとらえない。

ということ。つい、机に向かってお勉強するのがいいと考えてしまいますが、そんなことしてもいつまでたっても、はなせるようにはならない。自分にクセ付けることが大事。

 

身につけるというのは集中力と継続力によりなされることなんだと思います。すぐに効果が出そうなハウツーばかり試していた自分が恥ずかしいです。

 

集中する時間を増やしていきたいし、それを継続していきたい。しかもこれって、自分を信じるということと少し似ているのではないか、そんな風に思いました。

 

 

 

 

 

 

読む力・聴く力 (岩波現代文庫)

読みました。

心理学者、作家、詩人それぞれの観点から、「読む」ということ、「聴く」ということのついて、話し合います。

読むスタンス、聴くスタンスは三者三様なのですが、その処理のプロセスは非常によく似ていることが面白いと思いました。

つまり、「無意識に任せている」ということを非常に大事にしている。

河合さん

「自然に起こるということはものすごく大事です。」
「自分で覚えて、自分で忘れて、残るやつがいい。」

谷川さん

「優勢な文字文化の中で失っているもののことも考えなければいけない。」

これは言葉というのはある種概念を限定する効果があるということでした。「山」という言葉があると「山」が分かった気になる。でも、その実、あの山もこの山も全部違う。それは感性によってわかる。

立花さんは覚えて忘れて、残るということをもう少し社会的なものにも当てはめて考えているようです。

インターネットにあふれている言葉の量は膨大だと思うのです。でもそのほとんどが消えていくものです。皆の記憶の中に残った、ほんの一言二言みたいなものが、さらに時間をかけてたまっていく。そういう過程もおそらくあるのではないか。

人の頭の中でもたまったものが一つにまとめ上げられる瞬間がある。社会でもそれが起きている。古典の時代からこのようなプロセスはあったけれども、インターネットの普及により、それが顕著になったと説明されていました。

 

そして、情報の検索についても、「出会い」と言っていました。つまり、何かを検索するとどっと候補が出てくる。そこでどのような情報を取捨選択するか、それは出会いそのもの。出会いの数が圧倒的に増えたということですね。

そうすると、大事になってくるのは、選ぶ側。河合さんは「知恵」ということばを使っていましたが、今、出会い(=情報・知識)の方が多すぎて、選ぶ能力が落ちている、そんなアンバランスな状況になっていないか。

知恵をつけるにはどうするか。河合さんの言葉をかりると、

「読むこと」、「聴くこと」の背景に「生きること」がある。

ということばがぴったりしていると感じました。

まず、「生きる」。そのために「出会う」。そう思うと、まずは自分と自分の無意識に向き合ってみる。その声を「聴く」という時間も大切なのだと思います。

 

 

読む力・聴く力

読む力・聴く力

 

 

あなたの人生の科学

 読みました。

この本は人生の悩みを解決してくれる本ではありません。

2人の男女の人生を追いかけながら、それぞれの選択を科学的な視点で検証することで、その人生ドラマを通して、私たちが自身の生活で直面するであろう課題に対しどう取り組めば良いか、そのヒントを与えてくれるような気がします。

読後は少しですが、視界がクリアになったような、そんな感じです。

最近は非常に重要視されている「無意識」の存在。

本書でもそれが人生の決定に大きな影響を与えていると書かれています。

「何よりも大事なことは無意識が極めて社交的であるということだ。無意識は心の内側にありながらいつも外を向いていて、いつも他人とのつながりを求めているのだ。」

 

「意思決定は理性の仕事ではなく、実は感情の仕事なのだ。」

 これは感情に流されなさいと言っているのではありません。感情という自分ではコントロールの難しいものによって、実は意思決定というのは下されているという事実を認識しておくことは、自分を客観視する上で非常に重要な要素であると思います。

このようなことも書かれています。

「笑いは、話が面白いから起きるというよりも、その状況が心地よいもので、また、他の人も同じように感じたと察した時に自然に起きるものである。」

 お笑い番組も前座ってありますよね。これもやはり、「笑ってもいいんだ」という場を作る役割を果たしているのだと思います。まずはそういう空気、場を作ることを心がける。そうするとポジティブな言葉が出てくるのかもしれません。

新しい着想を得るためには、一見無関係な2つの事象を結びつけてみる。 

僕は非常に苦手です。まだ試してうまくいった試しがない。だけど、新しい考えはこの作業の試行錯誤から生まれるのかもしれない。

集中力について

セルフコントロールについても書かれています。集中力が人生を決める、と。集中力をコントロールすることが人生をコントロールすることにつながる。

1日の中でどれだけ集中したか、質は高かったか。この時間を1分1秒でもいいから日々伸ばしていきたいと思います。

IQ以上に大切なもの

IQ以上に大切なものとして、

 

・情報収集能力
・1つのことをいくつもの視点からみる能力
・反応の前に熟慮すること
・得られる証拠を評価する力

が挙げられていました。そしてこれはほぼ「性格」だとのことです。

他にも挙げだしたらキリがありませんので、こんなところです。

 

あなたの人生の科学(上)誕生・成長・出会い (ハヤカワ文庫NF)

あなたの人生の科学(上)誕生・成長・出会い (ハヤカワ文庫NF)

 

 

 

あなたの人生の科学(下)結婚・仕事・旅立ち (ハヤカワ文庫NF)

あなたの人生の科学(下)結婚・仕事・旅立ち (ハヤカワ文庫NF)

 

 

 

人生の科学: 「無意識」があなたの一生を決める

人生の科学: 「無意識」があなたの一生を決める

 

 

ザ・万字固め

ザ・万字固め (文春文庫)

読みました。

鹿男あおによし等で有名な 万城目学さんのエッセイです。

読んでいてとにかく面白いのはその独特な言語表現だと思います。

日常の風景をとても楽しいものに見せてくれます。

その表現が生まれる裏側には、並外れた観察力と人と違った視点があるのだと思います。

万城目さんの文章を読んでいると、そういう努力をして、迷って、悩んで、自分で笑ったりしている姿が読んでいて思い浮かぶような、そんな気がします。だから、親近感がわいて読んでしまうんだろうと思います。

特に読んで面白いと思ったのは、三人やわらか問答(万城目学森見登美彦綿矢りさの鼎談)です。

テーマは「それぞれの21歳」。

それぞれが21歳のとき何を考えていたか、どのような生活を過ごしていたか。どうして小説家になろうとしたか。など、その年齢だからこそぶつかるいろいろな悩みや考えを語り合います。

自分との向き合い方にもそれぞれの個性があり、少しずつ前に進んできた、そんな部分を垣間見ることができました。

笑えて、考えさせられるところもある、そんな本でした。

ザ・万字固め (文春文庫)

ザ・万字固め (文春文庫)

 

 

風蘭(岡潔)

風蘭 (角川ソフィア文庫)

 最近岡潔に注目が集まっているようです。

森田真生さんもそうですし、著作も復刊されています。

それほど、岡先生の思想が現代の日本に必要とされているものなのだと思います。 

この「風蘭」も50年以上前の著作。しかし、その思想は古くなるどころか、鋭さを増し、現代日本の欠点を的確に指摘していると思います。

しかもその視点は、世界的、客観的です。でも冷たくない。自分のふるさとを照らしてくれているような温かい視点。ここに戻ればいいんだと感じさせてくれます。岡先生の本を読んでいるとそんな優しさを感じます。

本作では特に教育についてページが割かれています。学校教育だけでなく、誕生からの躾、父親、母親のあり方、性別ごとの特性など、幅広いです。

また、岡先生の思想は多くが仏教に根付いています。仏教は非常によくこの世を記述できている思想と感じることができます。宗教という観点でなく、思想体系として。

この本を読んで、大事にしたいと思ったこと。これは岡先生が何度も何度も言っているけれど、「情緒」。

すみれの花はいいなぁ。と思えること。それが情緒だと言っています。なぜいいと思えるのか、それはわからない。先に「いいな」が存在して、人間はそれを感じ取って、いいなと思うのだと思います。その「いいな」を「ある」と確かに感じること。この感覚に入っていくことが非常に重要であり、それそのものが人間の喜びでもあるのかもしれないと感じます。

読む方それぞれに何か感じられるものがあると思います。

風蘭 (角川ソフィア文庫)

風蘭 (角川ソフィア文庫)